2011/08/31

子どもたちの帰国

6月21日,子どもたちにとって学校最後の日。シュントは4年生,ハルナは8年生を終えたことになるのだが,たまたま,私たちが住んでいたシュリュースベリーは,エレメンタリーは4年で終わり,ミドルは8年で終わるので,クラスメートたちも夏休みのあとは新しい学校ということになる。

21日は子どもたちは午前中で学校が終わるので,その間に片付けて,昼に子どもたちを迎えに行って,最後のごみ捨てとかを子どもたちに手伝ってもらって,2時くらいにはアパートをあとにして,空港のそばの宿にチェックイン,という予定だった・・・








が,上のような状態になったのは,もう7時近かった・・・ 日が長くなかったら,もっと焦ってただろう。午前中,娘の表彰に招待されていた http://from-ma.blogspot.com/2011/08/blog-post_21.html のもあったし,私が戻ってくるアパートに一部の荷物を運ぶってのもあったが,それにしても,引っ越しの時間の見積もりの甘さは毎度のことで,かなりの自己嫌悪。

シュントは,いよいよ二年以上住んだアパートを離れる,というよりアメリカを離れるという段になり,大泣き。ハルナはもらい泣き。シュントは,学校の帰り路も,いつも途中まで付き添ってくれる先生(Mrs. Richard)とハグしながら大泣き。実は,シュントが音楽の先生にギフトカードをわたし損ねたので,車で学校に行ったとき,ESLの先生が他の先生に「Mrs. Richardがシュントとハグしたとき,シュントの涙で袖がびしょ濡れだったんだって」みたいなことを言っていた。


二年以上世話になった,CR-V。本当は,引っ越し前に売ってしまうつもりで,レンタカーを予約していたのだが,売れるのが私が戻ってきてからになりそうだったので,レンタカーをキャンセルしたのだった。でもそれが大正解。だって,レンタカーの返却時間,ボストン空港に午後4時とかにしてたから・・・

アパートの駐車場。最後がいい天気でよかった。

シュントは,車に乗ってからも号泣・・・

ムービングセールの品物を途中で引き渡し,宿に向かったが,こういうときに限って,(たぶん)事故渋滞で全然動かず,迂回したりした挙げ句,宿のそばで夕食をとったのがたしか9時過ぎ。しかもビール抜き(泣)。

それでも,翌朝11時5分とわりとゆっくり目の出発時間だったので,ある程度ゆっくり眠れた。しかも,ボストン空港で私たちの利用したエアカナダは,セキュリティとかを他とは別のところでやってるので,行列も短く,担当者も穏やか。搭乗口でかなり時間をもてあますことに。
 下は,乗り継ぎ空港のトロント空港。
 いよいよ日本へ。
 途中,北極海がきれいだった。

 夜食にカップヌードル!

23日(木)に蒸し暑い成田に到着し,27日(月)には二人とも日本の学校に復活。

私が米国に戻る前に,私たちが米国滞在中に亡くなったヨリコの祖母にお線香を上げに大阪に。


あれこれバタバタとこなしたあと,私一人再びアメリカに戻ったのであった。

シュントはこのときもメソメソと。泣き虫なんだよね。

2011/08/30

スクールバス初体験

5月13日,シュントのクラスでフィールドトリップ。場所は,SELCO。シュリュースベリーの電気,電話,ケーブルTV,インターネットを運営しているNPO。どうもこの運営方法はこの辺でも珍しいらしい。

そのフィールドトリップで付き添いボランティアを募集していたのだが,もう最後だと思って,思い切って手を挙げてみたところ,やってくれということに。それまでいろいろ保護者参加行事に参加してたのもあり,子どもたちとも知り合いだったし,何より,ハルナは親と学校で会うことをいやがるけどシュントはいやがらないので,多少緊張感はあったけど,それよりもスクールバスに乗ることが楽しみだった(笑)。

付き添いボランティアは,私の他にお母さんがもう一人。以前ヨリコが付き添いボランティアしたときもやはり参加していたらしい。本当に感じのいいお母さんで,複数の言葉を話し複数の文化を経験することは素晴らしい,みたいなことを,まったく嫌みな感じでなく話してくる。ある意味で,私のアメリカ人ステレオタイプをぶちこわすような人。実際,この間,そういう人に何人か出会った。そりゃまああたりまえといえばあたりまえだけど,必死で下手な英語を話しているときに,相手がそういう人だとわかると,救われるというかちょっとこみ上げてくる感じになるというのが正直な気持ち。

SELCOでは,ペダルをこいで,その力で電気がつくような簡単なアトラクションがあったり,電気の仕組みみたいなことの説明があったり,それほど特殊な何かがあったわけではなかった。日本の社会科見学とほぼ同じだろう。


で,バスだけど,思ったより新しくきれいだった。子どもたちは興奮して賑やかだったけど。


教室に戻ってきてからは,SELCOでもらったTシャツの上に,クラスメート同士で,サインをしあう。下がその様子なのだが,なんと私まで何人かからサインを求められた。もちろん喜んで「漢字で」サインしてあげた。



なかなかにすてきな思い出になったのだった。

クラーク大学

このブログにあまり職場関連のことは書かなかったが,もう帰国が近いので少し書くことにしようと思う。

私がお世話になっているのは,ボストンから西に40マイルほど西のウースターというところにあるクラーク大学。心理学者にとってはけっこう有名な大学で,初代学長のホールがフロイトを招待したことで知られている。それもあって,フロイトの像がある。


で,よくいたずらされている。


昨日は,大学の新年度初日だったが,ハリケーン一過の快晴。下の写真ではわからないかもしれないが,フロイト像の前で記念写真を撮る学生も。

私の受入教員はバルジナーさん。文化心理学者として著名だが,毎週水曜9時から,"Kitchen"という部屋で通称キッチンと呼ばれる研究会を主催している。で,研究会の間は,どっしりと座って・・・ということはまったくなく,出席者の多いときは自分の椅子を譲ったり,コーヒーを入れて出席者のみんなに配ったり,写真を撮ったり,とまるでアシスタントのよう。


そして,とにかくすごいと思うのは,欧州,南米,東アジアからひっきりなしにこの研究会に参加しに来る人がいること。そしてそれ以上にすごいのは,彼のアパートの一室を完全にゲストルームにしていて,そこを宿舎として使わせていること,そこがいっぱいのときは,同じ敷地内の別の部屋を借りる手配をしたり,調整をしたりしていることだ。実は今私が住んでいるのも彼のゲストルーム。

そういう人だから,ゲストたちにも大変慕われていて,特製のTシャツをプレゼントされたりすることもしばしば。下は,VALSINER CONNECTING PEOPLEとプリントされたTシャツを着ているところ。

手前の若者が,ケニー。昨日が大学院生としての初日だったのだが,学部生のうちから,キッチンに参加し,既に投稿論文もあったりする。将来えらくなる可能性大。

発表者も発表後に写真を撮ったりする。

下が,バルジナーさんのリビング。5月からずっと留守にしていて,私がここに来たときはいなかったのだが,先日久しぶりに戻ってきたと思ったら,翌日,エストニア(彼の出身国)のテレビ局の撮影。でもってたった三泊で,再び出張で,リトアニア,イタリアへ向かった。

ヨリコも私も,彼のおかげで,やりたいようにやらせてもらえたし,世界中に親しい友人もできた。子どもたちのこともいつも気遣ってくれ,パーティーのときにはいつも子連れで参加した。感謝感謝である。

2011/08/29

PTOミーティング

PTOについては既に何度かこのブログで触れた。
http://from-ma.blogspot.com/2010/03/blog-post_04.html
http://from-ma.blogspot.com/2009/10/pta.html


私としては,子どもから得られる間接的な情報だけでなく,できるだけ,こちらの学校の様子を直接見てみたいと思っていたので,一般保護者が参加できる行事には積極的に参加した。このブログにもその一部を紹介してきたが,保護者参加行事は日本に比べるとかなり多い。保護者が授業その他のボランティアに入るのも珍しくないし。

シュントの学校はめったにPTOの例会(形式としては総会のようなもの)がなかったのだが,ハルナの学校は夏休みのときを除き,月に一回必ずあった。初めて参加したときは,出席者の少なさ,お母さんばかりであることに相当ビビった。英語もよくわからなかったし。いや,最後までビビってたし英語もわからなかったけどね(苦笑)。そんな中最後まで出席し続けられたおそらく最大の理由は,最初に出席した日,外で迎えの車を待っていたとき(当時はまだ車が一台しかなかった),会長が声をかけてくれ,どうぞまた来てね,みたいなことを言ってくれたことだと思う。

下は私にとって最後の会議の日の風景。いつも10人そこそこの出席者で,それはほとんど執行部の人たち。それから,二つのミドルスクールの校長またはその代理。よくもまあ,毎月例会を開くなあ,と思ったけど,ご多分に漏れず,どうやって役員を募るか,とか出席者を増やすか,が課題の一つになっていた。

私にとっては,校長と直接話す機会が得られたこと,それによって,大学の倫理委員会の許可を得ずに,保護者としていくつもの授業を見させれもらえたことがラッキーだった。

スーパーでの衝撃と本屋の店じまいのしかた

まずはスーパーの話から。よく知られているのは,レジで「いらっしゃいませ」ではなくHow are you?と言われ,「ありがとうございました」の代わりにHave a good day(night, oneなど状況による)!と言われることだが,私がそれより衝撃だったは,店内を物色しているところに,見知らぬ人が寄ってきて,何かと聞くと,銀行の口座を開かないか,と言われたこと。

その他,こっちに来てすぐに驚いたことの一つに,腐りかけた,ではなく,明らかに腐った野菜や果物が売っているということもある。しかも,何かのはずみで商品が床に落ちてしまったとしても,拾わない人がけっこう多い。

そうそう,それから,この近所のチェーンスーパーに,Stop & ShopとかPrice Chopperがあるんだけど,なんか名前がダイレクトすぎて,最初は店にはいるのにも若干抵抗を感じたほど。

一度Price Chopperでこれまた衝撃的なことがあった。知ってる人も多いと思うが,こっちではbuy one get one freeという売り方をよくする。日本人的感覚からすると,そんないっぱいいらないから一つを半額で売ってほしいのだが,半額セールというのはそれほど見ない気がする。まあ,とにかくいっぱい売りさばこうってことなのかもしれない。あるとき,イングリシュマフィンがbuy one get oneだと思って買ったのだが,レジをでてレシートを確認したら(毎回必ず確認しているわけではないが,財務担当として(!)けっこうマメに確認している),二個分の値段がついていた。敢然とレジに向かい,クレームを付けると,責任者っぽい人が来て対応してくれたのだが,なんと私が買ったのは,buy one get two free・・・freeの前がoneではなくtwoだったのだ!! ということで,もう一個取ってきてくれれば値引きするよ,って言われ,すごすごともう一個取りに行って,引いてもらって店を出たのだが,どうも釈然としない。最後の部分だけ見れば,一個品物を取ってくれば,一個分値段を引くということ。何で物が増えて金額が下がるの??? 要するに,レジで品物を三個スキャンしないと一個分の値段にならないようになっていたわけだ。極端な話,三個買って,一個店の外で捨てた方が,二個買うより安いってわけ。「ワタシニハ,リカイデキマセ~ン」

話変わって,本屋の閉店の話。日本でもニュースになっていたようだが,ボーダーズという本屋のチェーン店が経営破綻で,うちの近所の店も閉店となった。閉店セールがあって,物がへって行くにつれ割引率も上がっていくというのはまだ理解の範囲だったが,驚いたのは,下の写真。



気づいただろうか。赤地に白で書かれた50%OFFはそこの棚の物が半額ですよ,という意味。それはいい。ちょっと目立たないが,本棚のそちこちにオレンジの紙にサインペンで小さく何か書かれている。よく見ると$80とか書いてある。なんだと思ってよく見ると,つまり,その本棚そのものも売りに出しているというわけ。「予約済」が貼られているのもある。中には,高いところにある本を取るための踏み台まで売られていたし,その他,いろんな本屋の備品が売っていたのだ!!

ま,合理的といえば合理的とは思うけどね。そういう意味では,2個より3個の方が安いことよりは理解可能だし,たまたまそのとき本棚がほしい人にとってはありがたい話だろうな,とも思う。

2011/08/26

天気にまつわる話

今週は,23日の火曜日にバージニア州を震源とする地震があり,東海岸は大騒ぎになった。なにせ,小さな地震すらめったにない地域なので,死傷者が出るような規模でないにもかかわらず,あわててみんなビルから避難したり,とっとと帰宅になったりしたらしい。

で,今日は,ハリケーンのアイリーンが迫ってくるというニュースで持ちきり。ワシントンやニューヨークだけでなく,ボストンまで非常事態宣言だって。ワシントンはかなり大変だろうと予想できるけど,マサチューセッツに来る頃にはけっこう弱まっていると思うんだけど(カテゴリー1以下),なんだかすごい騒ぎ。アパートの管理人からも,この週末は,電源は抜いておけだの,大事な物は窓のそばに置いておくなだの・・・ さて,明日明後日どうなることやら。

そういや今年は,マサチューセッツでも竜巻の被害があったり,最高気温が100度(摂氏38度)を超したり,少なくとも毎年恒例でないような天気に遭遇。6月1日の竜巻は,私が住んでいるところには来なかったが,それに伴う雷雨がすごかった。稲妻が長い間立て続けに光っていた。こんなの映画だろ,みたいな感じ。天気専門チャンネルでの警報音がなんかちゃっちくて笑えた。



たぶん,マサチューセッツは,日本でいえば北海道の東部とか北部の気候に似てる。東京に比べると,夏が本当に快適。冬に大雪で学校が何日も休みになっちゃうのには閉口したけど。そういえば,10月や4月の雪も経験した。下は4月1日の大雪。そういや東京でも去年だか4月に雪降ったんだったかな?? 幸いなことに学校は休みにならずに済んだけど。




2011/08/25

アメリカ生活最後の3ヶ月(シュント編その2)

ミドルスクールでは,BandかChorusかOrchestraのいずれかを選択するBCOという授業がある(でも,どれも選ばないという選択もあるのがおもしろい)のだが,エレメンタリーでは,Musicは選択ではなく,年に二度くらいコーラスの発表会がある。だいたい3クラス合同で,何回かに分けて実施される。ということで,以下は,シュントのコーラスの動画二つ。

まずは,ちょっと古いけど忘れていたので,2010年11月3日分。コーラスの発表会とはいってもただ歌うだけでなく,一部の子どもたちがセリフを言ったり掛け合いをしたりするシーンがあったりする。もう,この時期のシュントの英語は,私のそれを圧倒的に凌駕している。ちなみに,シュントは二度も出番があり,一方で出番がない子もけっこういるのだが,要するに,出たくない子は出なくてよい,出たい子,出てもいい子は何度でもでるということらしい。


それにしても,ここまでアメリカってすてき,みたいなので攻められると,ちょっと言葉がない。はじめから帰国が決まっていて,他人事になっちゃってるからいいけど,ずっと住み続ける人は日本人に限らずある種の反発心を持つのはわかる。それがときに,母国を過剰に礼賛することにつながることも。

つぎは,WFSS Variety Radio Showという名のコンサート。2011年5月24日。ラジオ番組を模したというわけ。

続いて6月16日。シュントの学校でCelebration。この町はエレメンタリーが4年で終わりだから,ハルナとともにシュントも日本でいう「卒業」。音楽とともに入場だけど,保護者のみなさま,みんなカジュアル。娘や息子に手を振りまくり。


で,副校長の話があって,日本でいう児童会メンバーが思い出を語り,賞状をもらい,皆勤賞の子どもたちが名前を呼ばれ(シュントはクラスで唯一の皆勤賞だった),みんなが卒業証書みたいなのを校長から手渡しでもらい(受け取り方は当然テキトー),校歌を歌っておしまい,って感じ。


でもって,卒業生は,在校生の拍手をもらいながら,全教室の前を通り教室に戻っていった。教室では,クラスの一年を振り返り担任が編集したスライドショー。保護者も参加可。ということで当然参加した。

この2年3ヶ月,担任の先生とも校長先生ともずいぶんよく話したし,メールのやりとりもよくした。日本よりも敷居は低いし,先生たちが自信もってやってるのを感じた。ま,時間的余裕もあるしね。


2011/08/22

アメリカ生活最後の3ヶ月(シュント編その1)

まずは,4月8日のリテラシーナイト。おばさんが,大きなジェスチャーを交えながら有名な物語を語るのを聞く。それ以外に,本を売ってたり寄付したり。そしてなぜかアイスクリーム。もうこの手の行事にはすっかり慣れたけど。


4月10日は,町の教育委員会主催のロードレース(5km)。ハルナはバスケの試合とかぶっていて,「どうする?」って聞いたら,「こないだ一位になったからもういい」http://from-ma.blogspot.com/2011/01/5k.htmlと言ってバスケを選択。おかげで,朝ボストンまでハルナを送り,町に戻ってきてシュントのレースを観戦し,再びバスケ会場,というすばらしくアッシー君状態(死語か?)。




スタートラインの一番前を陣取ってスタートを切ったが,やはり男子のレベルは高く,12歳以下の部で,29人中13位。27分46秒6。 http://www.coolrunning.com/results/11/ma/Apr10_Shrews_set3.shtml
同い年のトップはサッカーのチームメートのマックスで,シュントより2分以上早かった。最初にあったときはきゃしゃなカワイイ子って感じだったが,ずいぶんたくましくなったもんだ。ちなみに,11月のときの記録は,29分19秒だったが,今回のコースはわりとフラットなので,記録がよくなったとは言えない。

こちらは,毎朝通学前のスケボー。雪だらけの冬は中止していたけど,雪解けとともに復活。朝だけとはいえ,ほぼ毎日だから,さすがに上手になった。はじめは,親が立ち止まって待つことが多かったくらいだったが,この頃はもう,歩いてはついていけず,小走りしてもどうか,という程度になった。



つぎは,5月5日。Cinco de Mayoという日。1862年にメキシコがフランスを撃退した日らしいが,メキシコ本国よりアメリカでもてはやされているらしい。ということで,メキシカンハットで授業をする先生。


メキシコのゲーム(?)を外でしたり,

メキシカンなものを食べるのが中心の,とっても楽しい行事なのだった。私は,上のゲームの見張りボランティアとして学校に行ったわけだが,床に紙皿をおいてナチョスとかを食べる子どもたちを見て,この期に及んで再び軽くショックを受けたりした。

シュントは,ハルナのシャークスのメンバーからもかわいがられていて,よくかまってもらっていた。

ハルナの試合の合間にこんなことをしてふざけたり,

やはり弟としてついてきているジェーコブ(コーチの息子でシュントより二学年上)と遊んだりしていた。

日本への帰国が迫ってきてから,キャッチボールしたときの写真。キャッチボールを息子とするのってオヤジとしてけっこうグッとくるものがある。ふだんやってる人は別かもしれないけど。これが初めてのキャッチボールではないけど,シュントがボールを投げるのがまともになってきたってのもあって,かなりいい気分になれた。