2010/06/21

わが子の学校での活躍ぶり

ここで親ばかネタを。

ハルナが2月にピアノで評価された話は以前書いたとおり。
ピアノは小1の時からやってるし,日本でも発表会なり競技会に出ていたから,ある程度は想定の範囲内。バスケも。ところが,絵も実はけっこういけるらしい。2月5日にピアノが評価されたコーヒーハウスというイベントでも絵が展示されていた。

さらにその後,5月1日にあった町中の公立小中学校の子どもの作品を対象とした展覧会でも,二枚展示されていた(一枚は3ヶ月前のと同じ)。


この写真にシュントしか写っていない理由は,ハルナがバスケの試合とバッティングしちゃって,男性陣に見ておくように頼み,自分は試合に行っちゃったということ。

私には芸術的才能がおそろしく欠けているので,評価するのもおこがましいが,ま,上手には見える(苦笑)。


シュントは,5月12日にbiography projectの発表会があった。これは,クラスの一人一人がそれぞれ別の米国史上の有名人を担当し,調べた結果をポスター発表するというもの。シュントの役はトーマス・ジェファソン。発表も堂々としたものだし,その後,質問かコメントを受けるのだが,その回答も親の心配をよそにちゃんとしていた(たぶん)。

再びハルナ。メモリアルデーの5月31日。全米で戦没者を追悼する行事が行われるのだが,私たちの住んでいる町でももちろんあって,その中に,ミドルスクールやハイスクールのブラスバンドがパレードするという企画もある。で,そこにハルナも参加。











フィナーレもハルナ。最終日,ハルナの通うミドルスクールでは,いろいろな賞の授与式みたいのがあって,実は,ハルナが受賞するというメールが数日前に学校からあって,しかもそれはハルナには秘密にしておいてほしい,どの賞を受賞するかも秘密というものだった。授与式に出るためにシュントを同級生のいる友人宅に預けながら,ハルナには二人で職場に行くからとかテキトーに嘘をつき,ハルナを降ろし,シュントを降ろしたあと,再びハルナの学校に向かった。

Perfect Attendance賞もあったので,これだったらちょっとがっかりだね,みたいなことをヨリコと話していたが,この賞の親は特に招待されていなかったらしい。前半は実技系の賞,ハルナの学年は5チームあって,だいたい各チーム男女一人ずつが授賞していた。ひょっとしたらELL(English Language Learners)かとか,上記活躍もあったし,音楽や美術かとも思ったが,それもなし。授賞したのは,何と,副校長賞。Most Improved Studentsだったってことらしい。7Goldの女子(ざっと50にんくらいかな)として。ひょっとしたらって思ってたけど,嬉しかった。わがことのように。もとが英語力のせいでひどすぎたってのもあるからちょっとずるいような気もするけどね。とにかく,堅苦しくないのもとってもいいんだけど,その堅苦しくなさといったら,ハルナは他の多くの子たちと同様ビーサンだし,驚いたことに先生にもビーサンがいるし,授賞する子を友人たちが喝采するし,あんなにふだんから星条旗なり国家なりに忠誠を誓うのが好きなのに,この「式」ではそういうのが一切なかったし。

いずれにしても,これらの演出は私は好きだし,少なくともうちの子たちにとっては本当にありがたかった。バンドのパレードくらいは日本でもあるかもしれないけど,他はちょっとあり得なそうな気がする。

2010/06/20

日本語学校の運動会と日本人主催のパーティー

5月29日の日曜日がボストン日本語学校の「大」運動会だった。

去年はハルナはリレー選手だったけど,シュントは補欠だった。今年は,晴れて二人とも選手。
実は,ハルナはバスケの試合のために4月からほとんど日本語学校に行ってなかったのだが,選手決めの日と運動会の日だけ,うまいこと試合がなく,なんだかずるい感じでリレー選手になったのだった。

保育園の時から万年二位のシュントは,今回の徒競走も二位(実は一位だったとの指摘もあり)。障害物競走も二位。リレーは美りっけつでバトンをもらい,差は詰めたものの順位変わらず,とあいかわらず日の目を見ず。

一方のハルナは,徒競走でいきなりつまずくもあとからブッチギって一位。リレーも4位からけっこうさのあった二人を抜いて二位に,と,チョー目立つ活躍ぶり。

日本語学校だから,まあ,それなりに真剣なんだけど,週一の学校だから練習もほとんどできないし,やっぱりどことなくアメリカナイズされていて,いい加減な感じがしておもしろい。






















去年は豚インフル騒動で,なぜか午前中のみということになってしまったが,今年は天気もよく,妙な騒動もなく,お弁当をはさんで2時過ぎまでの運動会だった。おかげで,親も参加する綱引きもあり,翌日腕が痛くなった。

翌日には,シュントの元クラスメート(昨年の夏休みに同じ町の違う学区に引っ越した)の家族(お母さんが日本人でお父さんが中国人)が主催したパーティーに招待され,家族で出かけていった。

なんと参加者は80名を超していたようで,すごい数。日本語,英語,中国語が乱れ飛ぶ。スイカ割りとか,変面という次々にお面を変える中国の芸みたいなものまで飛び出し,ただのホームパーティーとは言えないほどの催しだった。

ハルナのバスケ遠征の副産物

昨日,6月19日から,私たちが住んでいる町の学校は夏休み。長い長い夏休みの始まり。

12月から,それまでのシュントのサッカーに加えて,ハルナのバスケが始まり,シュントはインドアサッカーがあり,3月中旬からハルナのAAUのバスケ,4月からシュントのサッカーとあって,大忙しだった。AAUのバスケは,月水練習で,ほとんどの土日に2試合ずつ,サッカーは水金練習で,ほとんどの土曜に試合,ということで,車が二台ないとどうにもならないだけでなく,土曜午前の日本語学校もさぼりがちになるのだった(特にハルナ)。

AAUのバスケはコーチもいい人で,ハルナも本当に楽しそうだった。友人とケータイ番号を交換して,たまにショートメールでやりとりしたり,Facebookでやりとりしたり。結果的にいいチームを選んだと思う。土日の試合は遠方でやることが多く,州外での試合のうち3回は家族で泊まったりもした。

ロードアイランドのニューポート近郊での試合の際には,港のそばの屋外レストランでランチを食べたり,本来の意味でのマンション(豪邸)のツアーに参加したりした。上の2つがブレーカーズ,下がローズクリフ。中は撮影禁止。20世紀初めごろの大富豪の別荘だったそうだ。ローズクリフなどは結婚式や映画の撮影などにも使われているらしい。























コネティカットのハートフォードの試合の際には,マーク・トゥェイン博物館に立ち寄った。1874年から91年まで彼が実際に住んだ家のあと。ガイドツアーが30分おきとかにあって,勝手には見学できないシステム。このあたりは,当時は都会から離れていて,数軒の家があるだけで鍵もかけずにいたらしい。

ということで,おかげでついでにいろいろ楽しめてよかったのだった。

ニューハンプシャーのマンチェスターの試合の時のチームメート及びその家族たちとのモーテル駐車場でのBBQ,ハートフォードの試合の時のモーテルロビーでNBAのセルティックス戦を見ながらの夕食(その日は松坂が8回3分の2までノーヒットという日だったが,ハートフォードはNY傘下なのか,レッドソックス戦はテレビでやってなかった)などが結局一番思い出に残ってたりするんだけどね。

2010/06/08

4月に行ったバンクーバー

なんだか間延びしてしまったが,4月にバンクーバーの友人家族の家をおじゃました。元はと言えば,ヨリコの仕事関係の知り合いなのだが,こっちに来る前には日本の家に家族が泊まりに来たこともあったし,米国滞在中に一度は行きたいと思っていた。日本に来たときに,家を新築するという話になっており,かつ,設計図を見せてもらったら,あまりのゴージャスさにハルナがお城みたいだと言っていたほど。で,行ってみたのだが,それはもう,すごいのなんの。

まずは家の外から。
トランポリンから,屋根下のバーベキュースペース,ジャグジーまであった。

で,つぎに家の中。

巨大なリビング,ダイニング,巨大スクリーンでWiiをしたり映画を見たりする部屋,ホッケーゲームが小さく見える部屋,その他,いっぱーい部屋があり,一部は他人に貸していた。

この家を堪能するだけでも十分だと思うのだが,私たちにいろいろと気遣ってくれ,着いたその日には,子どもさんたちの通う学校のPTO主催のパーティーにヨリコと私が招待され,ディナーをごちそうになり,寄付金集めのオークションを楽しんだ。近隣企業からの寄付が商品になっていて,けっこうな金額で落札される。オークション自体は,築地のような雰囲気。

2日目はゆっくりしたあと,アメリカ国境まで散策。徒歩五分! 国境の碑の前で記念写真。



3日目は,郊外のカピラノ吊り橋というところで軽く散策。



4日目は,3年生のフィールドトリップにくっついてビクトリア島へ。世話になったヨリコの友人のダリスは,なんとスクールバスに乗せてもらえないかと画策していたらしい。まあ,それは結局ムリだったので,ダリス+私たち4人はダリスの車で。博物館や州会議事堂などを見学。議事堂ではナマ議論まで拝聴。



5日目は,本当は乗馬のはずだったんだけど,前日の雨のためキャンセル。おかげでゆっくりできた。ダリスの両親の家でランチをごちそうになったが,その家もまた大きかった。今ダリスたちが貸しているスペースに近々引っ越してくるようで,売りに出していたが,1億円くらいで売れたよう(深くため息)。

6日の朝にバンクーバーを出発。そんなこんなで短期間の割には濃厚な(慌ただしいという意味ではなく)時を過ごし,カナダを満喫できた。ありがたいこってす。

ダリス・ファミリーはもちろんのこと,カナダの人たちは空港職員も含めて穏やかだし,英語も聞き取りやすい気がする。帰りは乗換地のモントリオールで米国の入国審査までやってくれるので,すっごくスムーズだった。気のせいかもしれないけど・・・

そう,ボストンからだとダイレクト便がないので,乗り換え時間も入れたら成田からと大して変わらなかったりする。料金もけっこうかかった。だからといって,日本に帰ったあと,家族でバンクーバーに行くことの方がいろんな意味で圧倒的に大変だと思うけど。