2011/01/21

スノーデー

今日も大雪のため子どもたちの学校は休み。今日でこの冬3日目。12日,18日そして今日21日。去年は確か2回だけだった。しかも,こんな立て続けではなかった。

今日の雪は昼過ぎにやんだので,シュントがそりをしたがった。クーラーボックスのフタなどをそりに仕立てて,親子三人で大はしゃぎ。その間私は車周りの雪かき。




動画はこちら(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=1iMI5_Zap_0

週末は最低気温が華氏でもマイナスになる(しかもマイナス8度とか)ようで,去年は味わえなかった寒さを経験することになる。車の運転も気をつけないと。

2011/01/13

雪かき

昨日は大雪だったが,夕方遅くにはやんで,今日の予報は晴れ。昨日のうちに,日本でいう教育委員会から「明日は学校はあるけど,除雪が遅れるところもあるだろうし,登校させるかどうかの判断は保護者の判断で。」というメールが来た。日本人だったら,学校があるんだったら何が何でも登校させないと,と思うところだが,アメリカ人は違うのだろうか。ハルナに帰宅後聞いたら欠席はいなかったようなので,少なくとも大方は日本人の感覚とそんなにずれてないのかもしれない。

さて,アパートの駐車場は屋根はないのだけど,除雪してもらえる。ただ,車のごくごく周辺は自分でやる必要がある。それからもちろん車に積もった雪も落とさなければならない。今回はアパートの部屋から見る限り,それらの除雪作業がけっこうたいへんそうだったので,いつもより20分くらい早起きをした。予想通りの大変具合だったので,予定通りハルナを学校に送っていくことができた。下の写真はその学校から帰ってきてから撮った写真。奥の雪に埋もれた車がうちのセカンドカー。


先日,ハルナのバスケチームのコーチの家族を呼んでパーティーをしたのだが,そのとき,以前は,こっちでもスノータイヤをはいていたという話を聞いた。それを聞いたときは,「ああ,きっとそのときのタイヤはスパイクタイヤみたいなので問題があったんじゃないかな。MAではチェーンが違法だというのも多分同じ理屈で,道路を削るとか,粉塵とかそういうことだろうな。で,きっと塩を大量にまいて除雪するというのが定着しちゃったから,やめられなくなったんだろうな。」と思ったのだが,彼らが帰ってからふと,そうではないような気がしてきた。アメリカは車がないと生活できない地域が非常に多い。だから,スタッドレスにはきかえることを常識あるいはルールにしてしまうと,経済的弱者が困ったことになり,履きかえないで走ることになってしまう。そうなると,事故が増え,他のドライバーなどにも悪影響を与える。今のやり方でも追突などの事故は少なくないが,それでもまだマシなのかもしれない,と。

もちろん,これはただの推測なので,まったくのでたらめかもしれません。しかるべきところに聞けば簡単にわかるのでしょうけど。

2011/01/12

大雪

ようやく,今日の話題を書けるところまで追いついた。いつまでもつか怪しいけど。

さて,今日は大雪で子どもたちの学校は休み。昨晩遅くから降り始め,いまだに(午後5時)降り続いている。風も強い。学校が休みという情報は,既に昨日,雪が降り始める前にもかかわらず,日本でいう教育委員会からメールで連絡が来た。去年もsnow dayでの休校はあったが,前日,雪が降る前の連絡はなかった。朝起きてチェックする必要がないのは助かるけど。ということで家族で夜更かししてモノポリーをした。なにわ商人の血をひくヨリコがいつも強い。関東の田舎農家後をひく私はいつも弱い(苦笑)。昨日もまったくその通りの結果だった。

大雪の予報のせいで,昨日は,近くのスーパーは大混雑,夕方4時くらいから道はいつも以上に混んでいた。うちも,昨日のうちに買いだめしておこうと,買い物は済ませたが,そういうことをわりと淡々とできるようになったのは二年目ならでは。

この冬はそれでも本格的な雪はまだ二度目。一度目は12月27日。冬休みだったので,子どもたちは雪だるまを作った。雪がサラサラなので雪だるまを作るのはけっこう難しいみたい。あと,こっちは三段。「だるま」じゃないってことね。



ついでに,下の写真は,同じアパートに住む日本人家族3家族とともに近所のボーリング場で,日曜朝から「ボーリングで新年会」を楽しんだときの写真。

元日のケーキ

日本にいるときは,年末年始はそれぞれの実家に帰っていたので,そして去年は旅行していたのもあるので,四人で家で正月を迎えるのは実は初めてのこと。でもって,元日は私の誕生日。日本人としてはおそろしく不幸な誕生日。「世界中の人が祝ってくれてるじゃん」「追伸 誕生日おめでとう」みたいな感じで,誕生日当日に直に御祝いしてくれるということはまずない。以前から,普通の日の誕生日の人が本当にうらやましかった。

今年はなんと,ヨリコの入れ知恵もあって,ハルナがケーキを作ってくれることに。誕生日当日のケーキというのは,ケーキ屋さんその他が元日に休みなので30年以上経験しなかったが,ある時,ヨリコの実家で,義母が気を利かせてくれて,大晦日にケーキを買ってくれ,年明けすぐに食べる,というのを経験させてもらったのが最初。元日の夜というのは今回が初めて。

ささやかな,だけど素敵な誕生日だった。

ファースト・ナイト

ファースト・ナイトというのは,大晦日から元日にかけてのお祭り。ボストンが発祥らしい。1976年に始まったみたいだから,そんなに伝統的と言うほどのものではない。 http://en.wikipedia.org/wiki/First_Night ナイトとは言っても,朝からいろんな催しがあり,公共機関,教会,美術館,博物館などで,特別の展示や演奏会などがある。プログラムが目白押しなので,しかも,会場があちこちに散っているので, http://firstnight2011.sched.org/ 事前に計画を立てた方がいいと思い,前日に急遽おおざっぱな予定を組んだ。バッジを買えば,どの催しにも参加できるという仕組み。バッジは一人18ドル。ネットの前売りは15ドルと知っていたのだが,そのうちと思っていたらネットでは買えなくなってしまっていた。

31日のランチは,ボストン近郊に住んでいる日本人夫妻に招待されていたので,家族で押しかけ,餃子をたらふくごちそうになり,4時半くらいに近くの駅から地下鉄で会場に向かった。が,なんと,最初にやってきた地下鉄グリーンラインが満員で乗れない。やっと乗れた次の電車もかなり満員。レッドソックスの試合直後でもあるまいし。まあ,東京だったら,まだまだ詰め込むだろうけど,と思う程度ではあるが。

ともあれ,最初の目的地ハインズ・コンベンション・センターへ。本当はここでフェースペイントとか,トランポリンのショーとかを見ようとしていたのだけど,目前でパレードが始まったのでそれを見ているうちに,時間ギリギリになってしまい,会場に行ったら,もう終わってたり,人数制限で入れなかったり。下はパレードの写真。どれも手作り感満載。地元の子どもたちが作ったのもあったみたい。




で,次に,コープリースクエアの氷像。





で,ボストンコモンでの花火。この花火は,午前0時の花火だと子どもには遅いので,子連れ家族のために7時の段階で打ち上げるというもの。人混みを歩いて会場に向かっていたのだが,花火が上がるときに歩いていた場所が花火を見るのにかなりいいところだったので,間に邪魔なものがない状態で間近から見ることができた。



こっちの花火は日本のより高度が低いと思ったのは気のせい?? 例によって,短時間にひたすら打ち上げ続け,パッと終わるのがこちらの流儀。これもだいたい20分くらいだったんじゃないだろうか。

続いてコモンの氷像及びイルミ見学。




で,Park Street駅から地下鉄に乗り,オールドサウス教会でのバンド・コンサート。8時からは地下鉄がただになるということだったが,この駅は一足早く無料になっていた。ラッキー!


案内の人に,子どもは階段を上った席から見るといい,と言われ,下のような角度から鑑賞。

お約束通りアメリカ国歌(The Star-Spangled Banner)とGod Bless Americaをみんなで歌うということからスタート。

その後,Fanfare for the New Year, Sinfonia from Cantanta #29, Trisch-Trasch Polka, Sleigh Ride, Buglers' Holiday, Colonel Bogey Marchときて,The Ride of the Valkyriesのときに,バンドメンバーたちが角をかぶって演奏。その後は,Auld Lang Syne, La Rejouissance from Music from the Royal Fireworksで終わり。途中で観客二人(一人は子ども)にスレイベルの担当をさせたり,口笛を吹くことを観客に奨励したり,まあ楽しいコンサートだった。日本でもそうなのかもしれないけど,私はまったくこういうの無縁なので(苦笑)。

次に行ったのが公共図書館。アルゼンチンのピアニスト,Fernando Oteroという人の演奏。実は,この前のプログラムが長引いてしまったみたいで,開始が30分近く遅くなった。しかも,外で待たなければならなかったから,歩道に長い行列ができ,道行く人が興味深げに眺めたり,何があるの?と聞いてきたり。今年はたまたま穏やかな年末だったので(摂氏でいうと0度以上で風もない),外で我慢できたが,寒かったらパスしてただろう。

演奏は,現代音楽だから聞いたことないものだったけど,ものすごいスピードで鍵盤をたたく演奏で,子どもたちもビックリしてた。多分四曲は演奏したと思うけど,次の場所への移動のため,二曲だけで退散。

で,エマニュエル教会に移動。時間がないので走る。 ここで見たのはオペラ。意外にも子どもたちはこれが一番楽しかったらしい。いずれにしても,うちの場合,この三つの催しで18ドルってのはけっこうお得感ありだった。

で,新年はやっぱり花火で迎えようか,とすっかりアメリカンな気分になり,Aquarium駅まで地下鉄で移動。海辺の花火を楽しんだ。コモンなどではカウントダウンで盛り上がるようだが,コモンからだと花火が見えないということだったので,花火を選んだわけだ。こっちではカウントダウンなしで花火が上がった。

一応時計はあるんだけど,カウントダウンには向かないね。


それでもすごい人の数。花火が終わると一気に,Aquarium駅に人が向かった。中には大騒ぎする連中も。

混雑を避けるために二駅余分に歩いて,そこから車を駐めた駅(Lechmere)まで地下鉄に乗り,家に着いたのは午前1時半くらいだった。

予想したよりも楽しめたファースト・ナイトであった。

地元のクリスマス

去年は,フロリダとカリブで年末年始を過ごしたhttp://from-ma.blogspot.com/2010/01/blog-post.htmlので,今年は地元でゆっくりしようと決めていた。

まず23日には,夜7時から私たちの住むシュリュースベリーの教会前で"Caroling on the Common"という行事があることを知ったので,早めに夕食をとって出かけてみることにした。歌詞カードを片手に,ホッとチョコレートを片手に,クリスマスソングをみんなで歌う,というのは予告通り。でも本当に予告通りで,とくにそれ以上何もなく40分くらいで終わってしまった。こちらで恒例のラッフルくらいあるかと思ったがなかったし,とくに大きく盛り上がるわけでもなかった。それでも300人くらいは集まっていたかな。


公園中央の屋根つきの低い物見櫓風の建物の中で伴奏のための楽器演奏がなされていた。

下バケツはごみ箱,ではなく,寄付用。事前に,歯磨き粉や歯ブラシ,シャンプーの類を,との指定が案内のメールに書かれていた。全部この町に住む困っている人に,ということらしい。

帰り道,イルミネーションがすごい家の前。日本でもすごいのがあるけどね。

下は24日にオーブンで焼いたチキン。ヨリコの依頼により,内臓は取ってあり味もついてあるやつを買った。こっちにありがちな妙な味付けがなされているわけでもなく,けっこうおいしかった。DCで食べたホテルのターキーよりもね。

25日朝,シュントは,サンタからのクイズに取り組む。これは,わが家の恒例行事。去年は旅行中だったので,この行事がなく,シュントは前夜にクイズがなくなっちゃったのかと心配してたらしい。
ということで,前夜,ヨリコが作ったのが下のクイズ。NBAの都市名からチーム名をクロスワードに埋めていくもの。ところが,ヨリコがうっかり,なんのスポーツかを書き損なってしまっていた。

そんなミスもなんのその。シュントは,最初の問題がMemphisだったので,MLBでなくNBAだとわかり,すらすら解いていき,30のチーム全部を書き上げてしまった。少なくとも一つ二つのチーム名を聞いたり調べたりすると思ったけど,こんなにあっさりとは・・・

 ということで,BEHIND TVという最終回答をもとにテレビの後ろからプレゼントをゲット。こっちではやっているベイブレードと英語の本が入っていたとさ。


で,25日は,ヨリコがウィンターセレブレーションでESLの先生から「いいよ」と聞いてきた「光のクリスマス祭(Christmas Festival of Lights)というものを見に,アトゥルボロという町まで出かけてきた。片道約50分。http://www.lasalette-shrine.org/Christmas/Festival_of_lights.html
セルティックスの対マジック戦の試合途中だったのだが,後ろ髪を引かれる思いで家を出て,ラジオで実況を聞きながら現地に向かった。たいして大きな町であるわけではないが,なかなか見事なイルミネーションだった。ライトの色づかいのセンスが今ひとつなのは,いつも通りだけど。







最後に,わが家のクリスマスツリー。生木。

シュントのクラスのウィンターセレブレーション

12月22日,シュントのクラスで,ウィンターセレブレーションなるものがあった。今回は,World culture celebrationがテーマだそうで,自分のルーツに関係する食べ物をもってくるようにとのお達しが親に。

まあ,日本でいうお楽しみ会に近いけど,親が食べ物を用意し親も参加する,ってところが違うかな。うちはヨリコが巻き寿司を作ってもっていった。クラスメートが20人以上いるから,それなりに用意し,でも好き嫌いもあるだろうから,残っちゃうだろうね,と言っていた。
上の写真みたいな感じ。テーブルが三つくらいに分かれていて,一つのテーブルはアジア系に限定されていたので,食べた人は限定されていたが,この皿が空になった。後半には校長先生まで来て,箸を上手に使ってわさびまで溶いて食べていた。校長先生に限らず,テーブルにある料理を先生が率先してよく手をつけていた。日本だったら,先生が率先して食べるなんてことにならないだろうと思うけど。
 日本の他,中国,インド,イタリア,ロシア,ポーランド,スウェーデン,アイルランド,んー,あとどこがあったかな。とにかく,子どもたちの二三世代上になると,アメリカだけで収まることの方が珍しいくらいになるから,こういう行事は簡単にできる。とはいえ,あまり文化について深めて考えさせたりはしないみたいだけど。ネイティブの問題が出てきちゃうからだろうか,などと穿ってみてしまう。



食べ物だけでなく,お国のゲームやおもちゃをもってきている子もいて,シュントはけん玉をやってヒーローになっていたみたい(ついでに言うとヨリコも)。

ちなみに,シュントのクラスは,ハルナの学校と違っていて,Mrs.Spangenbergのクラスというふうに先生の名前で区別されている。

ということで冬休み間近の楽しげな学校ということで。

2011/01/10

現地校体験記その2とハルナのコンサート

昨年の3月に5年緑組に一日参加したが http://from-ma.blogspot.com/2010/07/blog-post_07.html ,11月16日にシュントの通う学校の4年Mrs. Spangenberg組に一日参加,12月20日にハルナの通う学校の8年白組(classでなくteamという名称を使っているが)に半日参加した。

下の写真のような廊下を通って,二階のシュントのいるクラスへ向かった。

教室の入口に,今日の予定が書いてあり,シュントの父(つまり私)が来ることも最初に書かれていた。

 下は音楽の授業風景。カーペットに座って授業を受けている。音楽の授業以外でも,授業中に床に座ることは珍しくない。


とある先生のデスク。少なくとも私の住む町の学校は,担任の先生は教室が自分の研究室みたいなもの。


シュントたちに混ぜてもらって食べたランチ。


やった授業は,音楽,言語,数学,社会,理科。音楽は,5年生の体育,いやスポーツ,のときに感じたのと同様,とにかく楽しむことを目的にしている感じ。日本では,少なくとも私が小学生,中学生の頃は,音楽でも体育でも,筆記試験があって,実技がダメでも,筆記でカバーみたいなことがあった。逆に言うと,実技が真剣モードで,個人間の出来不出来が露骨にわかるように授業がなされていた。逆上がりやハーモニカに始まって,様々な競技,楽器などによって。できるやつは誉められるができないやつは誉められず,徐々に,競技や楽器から遠ざかるようになる。こっちでも,もちろん,スポーツ嫌いや音楽嫌いはいるが,学校の要因は日本ほど強くないと思う。

言語(Language Arts)は多分こっちで最も気合いが入っている科目で,かつ,習熟度別に多様な授業が展開している。場合によっては20名そこそこのクラスメートを4グループに分けたりする。もちろん,第二言語として英語を学ぶ子どもも多いので,そうせざるを得ない部分もあるが。気合いが入っていると書いたが,実は,そんなグループの中には,自分で選んだ本を個別にただひたすら読む,という課題のグループがあったりする。多分できる子たちだと思うが,ちょっとビックリ。それにしても,なぜLanguage Artsっていうんだろう。かっこいいなって思って。

数学は習熟度別に3つのレベルにわけられていた。他のクラスの子たちと混ざるので,授業を受ける人数が少なくなるわけではない。シュントは今回は一番上のクラスだったらしく,そのせいで多分通常のクラスよりも受講生が多かった。また,予想通りというか,中国系,インド系の子たちの比率が多い。

社会や理科は日本の学校に通った目から見ると,ずいぶん手抜きをしている印象。最近アメリカ中で問題になりつつある州単位の共通テストが言語と数学だからってのもあるのかな。

ハルナの学校の場合,ハルナがいやがるので,ハルナのチームだけは避けてくれと校長に頼んでおいた。でも,8年生のチームになったので,バスケのチームメートには出くわし,「なぜハルナのDadがいるんだ??」と目を丸くしているのがわかった。理科,数学,社会の三科目に参加したのだが,子どもたちは科目によってあちこちに移動し,完全に同じメンバー同士で移動するわけでないので,理科の時にはクリスティンに会って,数学の時にはアンジーに会って,みたいな感じ。ただ,五チームあるうちの一つ,白チーム内での移動ということで,他の四チームと混じることは,基幹科目では,基本的にはない。ひょっとして三時間とも私と同じだった子もいるのかもしれないけど,定かでない。そして,そう,少なくとも,このチームでは,一度も私は授業前に紹介されていないのだ。

驚いたのは,8年生で,子どもたちが授業中によく手を挙げること。自分が中2の頃って,手を挙げるなんてことはまずなかった。最近は日本でも手を挙げたりするのだろうか。

下は,理科室の片隅においてあった教科書。


数学が始まったとき,子どもたちがケータイをいじってる,と思ったんだけど,どうも違ったらしい。クリッカーといって,問題の解答を手元で入力し,先生の元にあるPCに送信するためのもの。これで先生は,誰がどのくらいの時間でどういう回答をしているかのデータを収集する。数学では月に一回くらいこれを使うということ。後から先生に聞いたところ,子どもたちは楽しそうだし,データが簡単に集まるという利点がある一方,数字と選択肢でしか回答できないこと,すぐに回答した子が待たなければならないことをデメリットとしていた。個人的には,それよりも,答えを送信するときに相談したりカンニングみたいなことをしたりするのが簡単だけどいいのかなあ,ということが気になった。下の写真がクリッカー。

ついでに,ハルナの学校でのコンサート。今年は左端に座っていたので,会場からよく見えた。


講堂そばの廊下でハルナの写真を発見。スポーツ(Gym)の授業で,一定時間あたり,体育館の端から端をなん往復できるか,みたいな競争で,ハルナが男子を含めてもダントツであることがわかった。きっとみんな真剣モードじゃない中で一人,真剣モードで「体育」をしているんだろう(笑)。