2011/09/15

ニューヨーク 10年後の911(1)

そういえば,今年はちょうど10年ではないか。こんな近くにたまたまいるのに行かない手はない,と思い,8月末に急遽思い立ち,911のニューヨークを見ることにした。911が近づくにつれ,テレビも911のことを頻繁に流すようになり,数日前には,ワシントンDCとニューヨークがテロの標的になっているという報道も流れ,けっこう緊張感ある中での出発だった。実は何人かに行かない方がいいのではないかとも言われていた。9月10日は昨年度まで子どもたちが通っていた日本語学校のPTA執行部の宴会がレキシントンであり,その近くに宿を取っていたのだが,ほとんど眠れなかった。

7時半発の便だったのだが,通常だったら,1時間前に着けば十分だし,30分見れば着くだろうという感じなのだが,途中で検問があるかもしれないし,空港のセキュリティチェックもいつも以上に厳しいかもしれないと思ったので,さらに30分早くでることにした。この日,朝5時半はまだ暗かった。拍子抜けするくらい,何事もなく空港に到着し,セキュリティもそんなに厳しいわけでもなく,早朝だというのもあってそれほど人も多くなく,あっというまに搭乗口にたどり着いてしまった。


搭乗口には,家族連れも含め,それなりに人もいたのだが,オーランド行きの搭乗開始がアナウンスされると,とたんにがら空きに!


出発直前の機内はこんな感じ↓


たぶん10人!

そうそう,デルタシャトルは,自由席で席が割り振られていなかった。初めての経験だったが,こんだけ乗客が少なければ,まったく問題ないわな。

で,ニューヨークの空港はラガーディアだったのだが,これが,なんと,マンハッタン遊覧飛行みたいな感じで,ハドソンリバーを南下し,イーストリバーを北上するというルートでわざわざ迂回して南から着陸するという乙な演出をしてくれた。いや演出ではないんだろうけどね。





雲が少なかったので,すてきな遊覧飛行でした(笑)。

ラガーディアからはバスと地下鉄でダウンタウンに向かうのだが,デルタシャトルのターミナルは他のターミナルからは隔離されていて,本当に閑散とし,特に緊張感もなかった。売店で,Metro Cardを購入し,いざダウンタウンへ。



2011/09/06

レッドソックスのクロックス

日本ではクロックスを履いたことはなかったのだが,こっちに来て最初の夏にレッドソックスのクロックスを購入した。履き心地はいいし,こっちの人にも「どこで買ったの?」とかよく聞かれたりして,すっかり気に入っていた。帰国前に,自分のおみやげに買って帰ろうと,ずっと前から思っていた。

が・・・買った店に行っても売っていないし,同じチェーンの別の店に行っても,ない。あ,そうだ,ネットで買えば,と思って検索したのだが・・・やはりもう売ってないっぽい。めちゃめちゃショック・・・

ショックついでに(?)とってもアメリカンなお話を一つ。下はハーシーズのチョコレート。普通にスーパーで売ってるやつ。




上の写真,外袋から一つ取り出したチョコ。私は開けてない。  !!
こういうこと,こっちで生活している間にけっこうよくあったので,もう,そんなに驚かないけどね。

セーラムとボストン

8月1日,ヨリコが仕事も兼ねてやってきた。子どもはお留守番。私の両親とヨリコの両親とで交代で見てもらった。こっちに家族で住んだこともそうだけど,両親が元気でいてくれることは本当に助かる。

例によってレンサムのアウトレットで買い物をし,こちらの知り合いと夕食をともにしたり,したのだが,二人でこっちで過ごすのは今後しばらくないだろうし(ずっとないかもしれない),と思い,最後にボストン近郊を観光することにした。二人とも,魔女の町で有名なセーラムに行ってないことが少し気になっていたので,7日にセーラムに宿をとることにした。

家を出て,以前家族で住んでいたアパートの前を過ぎしばらくすると,日曜の昼時になぜか渋滞。理由は,雨で道路が冠水していて,スピードを遅くしなければならない箇所があり,さらには一車線通行止めになってたりしたためだった。



こちらでは,道路が冠水,ということはけっこうよく耳にする。ただ,小さな池や沼みたいなのがたくさんあり,しかも水面が周りの道路と大して変わらないものが多いのに,あまり氾濫したという話は聞かない。排水がうまくできてるのか。でも,道路の排水ができてないんだけど。ま,さすがにこないだのハリケーン,アイリーンのときはさすがにあちこちで溢れたみたいだが。

で,セーラムに着いて行ったのが,魔女の地下牢博物館とセーラム魔女博物館。。魔女裁判という負の歴史を売り物にしているからしょうがないが,おどろおどろしい雰囲気が充満。





夕食は,海沿いのシーフードの店でとり,日曜夕方の閑散とした町を散策して,宿に向かった。

翌日は,ボストン。まず,観光客がよく行くプルデンシャルセンターの展望台へ。

下は,よく運転しながら眺めたチャールズリバーを見下ろしたところ。

つぎは,家族で2度(一度は友人夫婦も一緒)観戦した,フェンウェーパーク。

バックベイの人混みで軽くランチをとり(実は私は,この日の朝から体調が今ひとつでスープを飲んだだけ),

ヨリコの希望で,パブリックガーデンにある,カモの親子の銅像を見に行き,


最後は,ボストンのビールで有名なサミュエルアダムズの工場でしめる・・・



はずだったのだが,中には入れたものの,ツアーは3時で終了。着いたのは3時ちょうどくらいだったが,もう,観光客であふれかえっていて,もう今日はおしまいだと言われてしまった。さすがに3時で終わるとは思ってなかったのだが,地球の歩き方には,ちゃんと3時までと書いてあった。ツアコン失格です,はい。それにしても3時で終わりとはねえ。カモの銅像を探している途中で雨が降ってきて雨宿りした時間が致命的だったか・・・

まあ,でも夫婦二人でゆっくりした時間を取れたのは,たぶん相当久しぶりだったと思うし,よかったんじゃないかな。

2011/08/31

子どもたちの帰国

6月21日,子どもたちにとって学校最後の日。シュントは4年生,ハルナは8年生を終えたことになるのだが,たまたま,私たちが住んでいたシュリュースベリーは,エレメンタリーは4年で終わり,ミドルは8年で終わるので,クラスメートたちも夏休みのあとは新しい学校ということになる。

21日は子どもたちは午前中で学校が終わるので,その間に片付けて,昼に子どもたちを迎えに行って,最後のごみ捨てとかを子どもたちに手伝ってもらって,2時くらいにはアパートをあとにして,空港のそばの宿にチェックイン,という予定だった・・・








が,上のような状態になったのは,もう7時近かった・・・ 日が長くなかったら,もっと焦ってただろう。午前中,娘の表彰に招待されていた http://from-ma.blogspot.com/2011/08/blog-post_21.html のもあったし,私が戻ってくるアパートに一部の荷物を運ぶってのもあったが,それにしても,引っ越しの時間の見積もりの甘さは毎度のことで,かなりの自己嫌悪。

シュントは,いよいよ二年以上住んだアパートを離れる,というよりアメリカを離れるという段になり,大泣き。ハルナはもらい泣き。シュントは,学校の帰り路も,いつも途中まで付き添ってくれる先生(Mrs. Richard)とハグしながら大泣き。実は,シュントが音楽の先生にギフトカードをわたし損ねたので,車で学校に行ったとき,ESLの先生が他の先生に「Mrs. Richardがシュントとハグしたとき,シュントの涙で袖がびしょ濡れだったんだって」みたいなことを言っていた。


二年以上世話になった,CR-V。本当は,引っ越し前に売ってしまうつもりで,レンタカーを予約していたのだが,売れるのが私が戻ってきてからになりそうだったので,レンタカーをキャンセルしたのだった。でもそれが大正解。だって,レンタカーの返却時間,ボストン空港に午後4時とかにしてたから・・・

アパートの駐車場。最後がいい天気でよかった。

シュントは,車に乗ってからも号泣・・・

ムービングセールの品物を途中で引き渡し,宿に向かったが,こういうときに限って,(たぶん)事故渋滞で全然動かず,迂回したりした挙げ句,宿のそばで夕食をとったのがたしか9時過ぎ。しかもビール抜き(泣)。

それでも,翌朝11時5分とわりとゆっくり目の出発時間だったので,ある程度ゆっくり眠れた。しかも,ボストン空港で私たちの利用したエアカナダは,セキュリティとかを他とは別のところでやってるので,行列も短く,担当者も穏やか。搭乗口でかなり時間をもてあますことに。
 下は,乗り継ぎ空港のトロント空港。
 いよいよ日本へ。
 途中,北極海がきれいだった。

 夜食にカップヌードル!

23日(木)に蒸し暑い成田に到着し,27日(月)には二人とも日本の学校に復活。

私が米国に戻る前に,私たちが米国滞在中に亡くなったヨリコの祖母にお線香を上げに大阪に。


あれこれバタバタとこなしたあと,私一人再びアメリカに戻ったのであった。

シュントはこのときもメソメソと。泣き虫なんだよね。

2011/08/30

スクールバス初体験

5月13日,シュントのクラスでフィールドトリップ。場所は,SELCO。シュリュースベリーの電気,電話,ケーブルTV,インターネットを運営しているNPO。どうもこの運営方法はこの辺でも珍しいらしい。

そのフィールドトリップで付き添いボランティアを募集していたのだが,もう最後だと思って,思い切って手を挙げてみたところ,やってくれということに。それまでいろいろ保護者参加行事に参加してたのもあり,子どもたちとも知り合いだったし,何より,ハルナは親と学校で会うことをいやがるけどシュントはいやがらないので,多少緊張感はあったけど,それよりもスクールバスに乗ることが楽しみだった(笑)。

付き添いボランティアは,私の他にお母さんがもう一人。以前ヨリコが付き添いボランティアしたときもやはり参加していたらしい。本当に感じのいいお母さんで,複数の言葉を話し複数の文化を経験することは素晴らしい,みたいなことを,まったく嫌みな感じでなく話してくる。ある意味で,私のアメリカ人ステレオタイプをぶちこわすような人。実際,この間,そういう人に何人か出会った。そりゃまああたりまえといえばあたりまえだけど,必死で下手な英語を話しているときに,相手がそういう人だとわかると,救われるというかちょっとこみ上げてくる感じになるというのが正直な気持ち。

SELCOでは,ペダルをこいで,その力で電気がつくような簡単なアトラクションがあったり,電気の仕組みみたいなことの説明があったり,それほど特殊な何かがあったわけではなかった。日本の社会科見学とほぼ同じだろう。


で,バスだけど,思ったより新しくきれいだった。子どもたちは興奮して賑やかだったけど。


教室に戻ってきてからは,SELCOでもらったTシャツの上に,クラスメート同士で,サインをしあう。下がその様子なのだが,なんと私まで何人かからサインを求められた。もちろん喜んで「漢字で」サインしてあげた。



なかなかにすてきな思い出になったのだった。